FIELD NOTE #021
畑は、一枚ではなかった。
今年の大麦畑で、不思議な景色を見ました。

畑の一角だけ、大麦が私の胸の高さまで伸びていたのです。
同じ日に播種し、同じ品種を使い、同じ播種機で播きました。
施肥も管理も同じです。
それなのに、ほんの数十メートル離れただけで、草丈がまるで違う。
最初は、「そんなこともあるか」と思いました。
でも、畑に立ち続け、研究を続けてきた今の私は、その違和感を見過ごすことができませんでした。
畑は、一枚ではありません。
私たちはよく、「この畑」と一つの言葉で表現します。
でも、本当にそうなのでしょうか。
修士課程で土壌を調べていると、同じ圃場の中でも、土壌水分は場所によって違い、生き物の数も違い、温室効果ガスの発生量まで違うことが分かりました。
畑は、一枚の平らなキャンバスではありません。
そこには目には見えない境界があり、小さな環境がいくつも重なり合っています。
今年、胸まで伸びた大麦は、そのことを静かに教えてくれました。
私たちは「平均」を見すぎている。
農業では、収量やタンパク質、水分など、平均値で語られることが少なくありません。
もちろん、それは大切な指標です。
でも、畑で仕事をしていると、平均では見えないことばかりが目に入ります。
今年、草丈が高かった場所。
逆に、生育がゆっくりだった場所。
雨の後、乾き方が違う場所。
それらは、数字では「誤差」として扱われるかもしれません。
しかし、私は、その誤差こそが畑の個性なのではないかと思っています。
その違いは、製麦でも消えません。
RIKKAでは、大麦を育てるだけではありません。
収穫した大麦を、自分たちで製麦しています。
製麦は、大麦を麦芽へと変える工程です。
毎年、同じように製麦しようとしても、同じにはなりません。
水を吸う速さ。
発芽の勢い。
乾燥したときの香り。
その年の大麦は、その年の畑を映したような表情を見せます。
醸造所に入った瞬間に、畑の違いが消えるわけではありません。
私は最近、製麦とは、
「畑の声を聞く仕事」
なのではないかと思うようになりました。
畑で起きた小さな違いを、麦芽という形で受け取り、ビールへとつないでいく。
それが製麦という仕事なのだと感じています。
テロワールとは、土地の話ではなかった。
ワインの世界には、「テロワール」という言葉があります。
一般的には、「土地の個性が味になる」と説明されます。
もちろん、その考え方は間違っていません。
でも、今年の大麦を見ていて、私は少し違うことを考えました。
テロワールとは、土壌や気候だけを指す言葉ではない。
その土地を観察し、違いに気づき、その違いを受け入れながら農業を続けてきた人の営みも含めて、テロワールなのではないか。
胸まで伸びた大麦は、偶然ではなく、その土地が毎年違う表情を見せてくれるという事実でした。
私たちは、その違いをなくすために農業をしているのではありません。
その違いを理解し、受け止め、ビールという形で表現したいと思っています。
だから、このビールは毎年少しずつ違います。
それは品質が安定していないということではありません。
土地が生きている証拠なのです。
Today’s Question
あなたが「同じもの」だと思っているものの中にも、本当は見えていない違いがあるのかもしれません。
もし今年、畑の一角だけ胸まで伸びた大麦を見つけたら、
あなたなら、その違いを「誤差」と考えますか。
それとも、「土地からのメッセージ」と考えますか。
最後に少しだけ。
これまで20回続けてきた内容をFIELD NOTEとして改めてスタートさせます。
「毎年1年生だw」と笑いながら話す年配の農業者が、年毎で作柄が異なる話をしていたのが記憶に残っています。こうやって書き溜めたことが何らかの記録になればと考えたことが、タイトルと内容を考え直すきっかけになっています。
引き続き、お付き合いいただければ嬉しいです。

